■浄土宗について |
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【教え】 阿弥陀如来が西方十万億土のかなたにつくられた、清らかな極楽浄土に往生することを説く教えです。極楽浄土に往生し、そこで阿弥陀如来の説法を聞き自らが仏になる(成仏する)のです。
極楽浄土に往生するためには、阿弥陀如来の教えを信じて「南無阿弥陀仏」とただ一向に称えるだけであると、法然上人は説かれました。阿弥陀如来の救いを信じ、南無阿弥陀仏とお称えすると、心も体も清らかになり、人生を心豊かに過ごし命終(命の終わる時)に臨んで、阿弥陀如来や諸々の菩薩に迎えられ、極楽浄土へ往き生まれる(往生)させていただくのです。
極楽浄土に往生し阿弥陀如来の説法を聞き成仏した後は、この世に残した子々孫々を救うことこそを最上の喜びとするのが、浄土宗の教えとなっております。 |
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【法然上人】 浄土宗の宗祖法然上人は、長承2年(1133年)美作の国(現在の岡山県)に武士の子としてお生まれになりました。幼くして夜襲に会い父を失いますが、その父の「敵を憎まず、誰もが救われる道を求めよ」という遺言に従って、仏の道を志します。
最初は叔父の観覚のもとで仏教を学んだ後、比叡山東塔西谷功徳院の皇円のもとで出家します。しかし、当時の比叡山は僧侶達が権力闘争に明け暮れる状況にありました。そこで法然上人は比叡山の中でも真摯に仏道を求める僧侶が集う西塔黒谷の慈眼房叡空に入門します。それから25年間、「誰もが救われる道」を求めて苦悶しながらも、ひたすら仏道を追い求めます。
そしてついに法然上人43歳の時、善導大師の「一心に阿弥陀仏の名を讃えて念仏を称えれば、極楽浄土へ往生できる」という教えに感得され、浄土宗を開宗します。
「念仏を称えれば救われる」という教えは、またたく間に民衆に広まりました。しかし、それ以前の既成教団からは「伝統的な仏教を否定するもの」として弾圧を受け、讃岐に流罪になります。
後に許されて京都へ戻り、現在の知恩院の地で建暦2年(1212年)80歳の生涯を閉じます。法然上人の死後、弟子達によって浄土宗の教えは全国に広まり、現在まで脈々と念仏の教えが受け継がれております。 |
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